頂上戦争と広島
共通点1「倒壊した和風の城」
海軍本部の建物は「海軍」と漢字で書かれた巨大な石垣の上に建つ”日本式の城”でした。
数ある日本の城の中から広島城だと考えた理由は冒頭でお伝えした通り、頂上戦争が第二次世界大戦をモデルに描かれているからです。
詳しく説明します。
共通点2「海軍本部と広島」
海軍本部のある島マリンフォードには、軍の要塞以外にも海兵の家族などが暮らす町があります。
街があり、女性や子供も住んでいるということは、公共施設もあるということ。
- 将来、海軍を目指す子供のための海軍学校
- 戦艦を作ったり修理する造船所
- 息抜き・娯楽・訓練用の運動施設
実は戦時中の広島は、上にあげた条件を全て満たした日本海軍にとっての重要な拠点でした。
- 新兵の教育を行った呉海兵団(海軍学校)
- 日本最強の戦艦大和を建造した造船所呉海軍工廠
1894年の日清戦争では日本軍の本陣が広島に置かれ、帝国議会もそこで開かれたりと、一時的に日本の首都機能が移転されていました。
そのため原爆投下の目標にされてしまったのです。
共通点3「山本五十六とジンベエ」
海軍大将山本五十六は、アメリカに留学した経験があったため「日本がアメリカに勝てる要素は無い」と、実は最後まで対アメリカへの攻撃に反対していました。
しかし、どうしても戦争に参加するキッカケが欲しかったアメリカは日本を挑発して攻撃するように仕掛けてきました。
日本海軍がアジア諸国から燃料が輸入できなくなるように、周辺国に圧力をかけたのです。
燃料が輸入できなければ軍艦が動かせない。
日本はアメリカに対し、周辺国への圧力を止めるよう散々申し入れをするも、アメリカは完全無視を決め込みました。
追い詰められた日本軍は、「周辺国への圧力をやめてくれ、さもなくばアメリカも攻撃対象に入れなくてはならない」と、警告しました。
しかしそれこそがアメリカの求めていた行動です。
いきなり日本に攻撃された!報復のために仕方なくアメリカも参戦する
と言う大義名分が欲しかったアメリカは、日本からの宣戦布告すらも無視しました。
そこで引き下がれなくなり覚悟を決めたのが山本五十六でした。
「ジワジワと燃料切れを待つよりも、侍として戦場で散りたい。死に場所をくれ」と、真珠湾攻撃を仕掛けました。
※ルーズベルトの開戦責任参照
山本五十六が、ジンベエの立場ととても重なります。
共通点4「山本五十六と56巻」
第二次世界大戦の火ぶたを切った軍人として知られる山本五十六。
その名前と同じ数字の56巻から、第二次世界大戦をモデルにした頂上戦争編がスタートすると言う奇跡。
尾田先生はこれを狙ってやっていたとしたら…
恐ろしい…
以上の共通点から、マリンフォードは広島だと言えます。
頂上戦争と第二次世界大戦の共通点
第二次世界大戦は、第一次世界大戦で奪われたポーランドを取り返したかったドイツが進めたポーランド侵攻が発端です。
- ナチスドイツの指導者ヒトラーは”チョビひげ”がトレードマーク
- 国旗はハーケンクロイツと呼ばれる鉤十字
一方、ワンピースの頂上戦争はポートガス・D・エースを取り返したい白ひげが傘下を引き連れて海軍本部に乗り込んたことで始まりました。
- 四皇エドワード・ニューゲートは”白ひげ”がトレードマーク
- 修正前の白ひげ海賊団のシンボルは逆鉤十字(卍)だった
白ひげがドイツ、ルフィが大日本帝国、Mr.3がイタリア、ついでにバギーがソ連(サーカス団の本場・ピエロの象徴)と言うように、歴史と重ねて読んでみると面白いですよ。
共通点5「2度の大ダメージ」
怒った白ひげの一撃は、広島弁を喋る赤犬を貫通して海軍本部へ大ダメージを与えました。
これが1945年8月6日月曜日、午前8時15分47秒に投下された1回目の原爆リトルボーイの象徴という風に考えられ、能力を奪った黒ひげによるダメ押しの一撃が1945年8月9日木曜日、午前11時02分に長崎に投下された原爆ファットマンの象徴だと考えられます。
この黒ひげによる一撃が海軍本部要塞へのトドメになり、建物は完全に崩壊しました。
日本軍も2度の原爆投下により心を完全に折られて終戦に向かいましたよね。
『モデルの国』シリーズ
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