日本の家紋
デザイン性の高さが海外からも注目されている日本の『家紋』
日本人なら誰もが持つ、先祖代々受け継がれた一族のシンボルです。
元々は戦場で敵味方を区別したり自分の手柄をアピールするための旗印がルーツですが、戦が無くなった江戸時代以降には庶民も家紋を使うようになり、店先ののれんや着物や持ち物に刻み、銭湯などでの取り違えを防ぐのに役立っていました。
現代でもお盆などのお墓参りで、同じ苗字のお墓と区別するために家紋を探す人がいます。
光月一族の家紋を分解
実在する日本の家紋に照らし合わせ、光月の家紋は4種類の組み合わせであることがわかりました。
外側から
- 海賊旗と同じく✖️を形どる『鍬形』
- 丸い『菊輪』
- 中央の『鶴』
- 鶴の中の『九曜』
この4つの紋章を詳しく調べたところ、すんごい事が色々とわかったので解説します。
三つ鍬形紋
光月の家紋の一番外側、バッテンを形どる”Y字”が鍬形(くわがた)です。
一番オーソドックスな兜飾りで、ホームラン後の大谷翔平の兜飾りも鍬形ですね。
この鍬形の図形を3つ並べた三つ鍬形紋(みつくわがたもん)が、徳川御三家の一つ紀州徳川家の替紋(将軍家などは複数の家紋を持つ)です。
このデザインは徳川家康が見た夢を元にして考案されたとされています。
寝ている時に見る方の夢です。
ある日『信長、秀吉、家康の三人が兜をつけて天下を論じた』という夢を見たという事で3人分の鍬形を形どったそうです。
徳川御三家とは
徳川御三家(ごさんけ)・御三卿(ごさんきょう)とは、将軍に子ができなかった場合に備えて跡継ぎを輩出することを目的に創設された家康の親戚のことです。
↑の家紋を持つ紀州徳川(紀伊徳川とも言う)がその一つ。
わかりやすい一覧表にすると…
【御三家】 | 場所 | 家祖 | 血筋 | 輩出した将軍 |
尾張徳川家 | 名古屋市 | 徳川義直 | 家康の九男 | 無し |
紀州徳川家 | 和歌山市 | 徳川頼宣 | 家康の十男 | 8代将軍 徳川吉宗 |
水戸徳川家 | 水戸市 | 徳川頼房 | 家康の十一男 | 15代将軍 徳川慶喜 |
【御三卿】 | 場所 | 始祖 | 血筋 | 輩出した将軍 |
田安徳川家 | 旧江戸城・田安門 | 徳川宗武 | 吉宗の次男 | 無し |
一橋徳川家 | 旧江戸城・一ツ橋門 | 徳川宗尹 | 吉宗の四男 | 無し |
清水徳川家 | 旧江戸城・清水門 | 徳川重好 | 9代将軍徳川家重の次男 | 無し |
と言うことで、初代家康の血が濃く残る御三家と、ちょうど真ん中8代将軍吉宗(暴れん坊将軍)の血が濃く残る御三卿となります。
この仕組み、ワノ国編で登場しましたね。
光月家に跡取りが生まれなかった場合に大名家から時期将軍が輩出される仕組みは、実際の徳川将軍家と同じ仕組みでした。
菊輪紋
光月の家紋の外側から2番目、花びらのような丸い図形が菊輪(きくわ)で、皇族の家紋である菊の紋からの派生です。
日本では天皇家の紋章として使われていて、明治4年に皇族以外の菊紋使用禁止令が出されています。
光月の家紋に菊輪を入れることで、皇族、日本の王、つまり日本をモデルとしたワノ国の王という意味を含むことになります。
森鶴の丸紋
光月の家紋の菊輪の中の鶴が森鶴の丸(もりつるのまる)です。
家紋に使われる鶴には2種類あって、通常の『鶴の丸』よりも複雑に描かれるのが森鶴の丸紋で、この家紋は森蘭丸の定紋です。
森蘭丸(森成利)
森 蘭丸(もり らんまる)または 森 成利(もり なりとし)は、織田信長を主君として仕え、本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した安土桃山時代の武将です。
森蘭丸のイメージ像を検索すると全くタイプの異なる2種類の人物像が出てきます。
↑と↓です。
ワノ国編のラスト、この人物像に似た感じの2人の家臣が、本能寺の変のように燃える城で死んじゃいましたね。
この2人はおでんの家臣でした。
森蘭丸は織田の家臣
織田はおでんとも読めます。
と言うことで、燃える城で主君の仇を討って死ぬことが決まっていたアシュラとイゾウは、本能寺の変で主君と共に死んだ森蘭丸をイメージして作られたキャラだったと思います。
森蘭丸のイメージだから最後には死んじゃう設定だけど、光月の家紋には2人のモデルの家紋を入れるから許してね。
という尾田先生のキャラへの供養が感じ取れます。
細川九曜
光月の家紋の鶴の中が細川九曜(ほそかわくよう)です。
何種類も存在する九曜を使った家紋の中から、細川九曜だと特定したのは当主とその妻が理由です。
細川忠興(ほそかわ ただおき)
細川九曜の家紋は肥後細川家の定紋です。
当主の細川忠興は、足利義昭→織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と、目まぐるしく権力者が移り変わる時代において、全ての君主の信頼を勝ち取り非常に上手く立ち回って生き残った名将です。
特に、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討った後、味方になるように誘われたが拒否した逸話が秀逸です。
忠興は明智光秀の娘を嫁に貰っていたにも関わらず、義理の父である明智光秀を見捨てたことになります。
おそらく忠興には、天下人になるべき人物を見極める能力があり、明智光秀に付くべきではないと感じたのでしょう。
その後、秀吉、家康と天下人の資質を持つ武将を見極めて勝ち馬に乗り続けました。
ちなみに、細川忠興の妻であり、明智光秀の娘の名前は玉です。
明智 玉(細川 ガラシャ)
明智 玉(珠) または 明智 玉子(珠子)
細川忠興に嫁いだ後は細川 玉(珠)または 細川 玉子(珠子)
キリシタンへ改宗すると洗礼名のガラシャとなった。
Wikipediaより引用
お玉がオロチと同じ黒炭一族だったことがSBSで明かされています。
織田信長を討った明智光秀の娘の玉
おでんを死なせたオロチと同じ一族のお玉
複雑な設定をぶち込まれましたが、この気持ちの対処法もワンピース内ですでに描かれています。
※この辺の考察は過去の記事でも公開しています。
まとめ
光月の家紋の図形を分解してちゃんと調べたら、ワノ国編のモデルが色々とわかったり、やっぱりおでんのモデルは織田信長だとわかったり、さらに日本史の勉強にもなりました。
このように、シンボルマークひとつにも何重にも意味が詰め込まれているのが尾田先生の描くワンピースです。
尾田先生の天才っぷりは、細かく解説しないとなかなか伝わりづらいので、天才の解説者として考察記事を更新しています。
今後ともよろしくお願いします。
おまけ【都市伝説】王と菊紋の不思議
日本の王である天皇家のシンボル菊花紋章
この模様の花びらの数は16枚と決まっています。
不思議なことにイスラエルにあるエルサレムのヘロデ門にも同じ16枚の菊の紋章が王のシンボルとして掲げられています。
この事から
「日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つである」
と考える日ユ同祖論という説があります。
この説を日本神話の古事記に当てはめて、日本を支配した神々の故郷である高天原とはイスラエルのことじゃったんじゃないか?
と、都市伝説と神話と歴史をごっちゃにして考える人が居ますが、私はそういうの大好きです。
たぶん尾田先生もフィクション・ノンフィクション・神話・歴史・空想・SF・漫画というジャンルを区別しないで議論するのが好きだと思います。
学んだ雑学が多ければ多いほど、点と点が繋がって新しい線になり、新しい物語やキャラが生まれたりするわけで、知識は多い程楽しく生きられると思います。
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