仁義は『儒教』の教えの一部
宗教は人間学、つまり哲学の一部なので民族や環境ごとに考え方が違います。
世界の地域別、人気宗教はざっくりこんな感じ。
ヨーロッパ・アメリカ・中東・ロシアはユダヤ教・キリスト教・イスラム教
インドはヒンドゥー教・仏教
中国・韓国は儒教・道教
日本は神道
それぞれが「こうやって生きるといいよ」と説いているので、ひとまず全部の話を聞いた後で気に入った考えの人を推したらいいと思います。
つまり宗教とは、人生を賭けた”推し活”ですね。
ちなみに私は「ワンピース教」の信者です。
”仁義”とは、中国など東アジアで人気の『儒教』の教えです。
仁・義・礼・智・信
儒教は釈迦、キリスト、ソクラテスと並ぶ「四聖人」と言われる孔子が始祖。
その”孔子”が説いた「五常(五徳)」の一部が”仁”と”義”です。
仁(じん)
人を思いやること。
孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。
『論語』では、さまざまな説明がなされている。
ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている。
前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。
具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、黄金律)がよく知られている。
すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである
Wikipediaより引用
義(ぎ)
利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。
中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
Wikipediaより引用
礼(れい)
「仁」を具体的な行動として表したもの。
もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。
のちに上下関係で守るべきことを意味するようになった。
儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。
Wikipediaより引用
智(ち)
道理をよく知り得ている人。
知識豊富な人。
Wikipediaより引用
信(しん)
友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。
Wikipediaより引用
場面ごとの”仁義”
「仁・義・礼・智・信」それぞれの言葉の意味が何となくわかったところで、ワンピース内で”仁義”という言葉が使われた場面を解説します。
”仁義”の意味の理解度を深めるためのケーススタディです。
聴いてください「海賊仁義」
船としての限界が来ていたメリー号を見捨てられず、ルフィとの決闘の末に一味を抜けたウソップの話を聞いたフランキーは
「行くアテが無いならウチに来い」と勧誘します。
しかし
「解体屋なんかになる気はねェ おれは一味をやめても海賊なんだ‼︎」
とウソップに断わられました。
その時にできた曲が「海賊仁義」です。
つまりここでは、海賊という”生き様を貫く覚悟”を仁義と呼んだのでしょう。
主に、五常の中の「義」
→利欲にとらわれず、なすべきことをすること
が該当すると思います。
仁義 = 掟
世間の法律を守れない荒くれ者・はみ出し者の集まりである海賊船にも、最低限守らなければならない海賊の掟があります。
例えば
- 脱走や隠し事は死刑
- 船内のギャンブル禁止
- 取り合いになるから女性を船に乗せてはいけない
ほとんどは裏切りや揉め事を防ぐような決め事で、破った者は無人島に置き去りか死刑にされます。
なので黒ひげの起こした揉め事の末の仲間殺しは最悪の裏切りで重罪です。
つまり白ひげの言う”仁義を欠く”とは、”海賊の掟を破ること”であり
「仁義 = 掟」 と変換できました。
仁義という名の”正義”
仁義を英語に翻訳するとJusticeとなり、Justiceを再度日本語に翻訳すると正義になります。
つまり英語には”仁義”を正しく表現する言葉が無いんです。
それだけ曖昧で、人によって解釈が異なるあやふやな言葉ということ。
なのでセンゴクの言う”仁義”は、英訳の”正義”とします。
人の道に仁義を通す
ビッグマムから子分盃を貰って傘下となったジンベエが、ルフィの仲間になる為にはまずビッグマムに盃を返上して傘下から抜ける必要があります。
これをしないでルフィの勧誘を受けてしまうと、ビッグマム海賊団からのスパイとなってしまいます。
ヤクザの世界のルールでは、盃を交わして一度は親子・兄弟になっても、盃返上の申し出を本人同士が了承したら関係を解消できます。
ただ、返上したいと言われた側にとっては恥なので、関係解消した途端に命を狙われるのがほとんどです。
という事で、この場合の”仁義を通す”は、”命懸けで筋を通す”という意味でしょう。
ついでに「人の道」というは「海賊界のルール」っぽいですね。
悪の世界の仁義
よくよく考えたら、この時点のジェルマ王国はまだレヴェリー出席の権利が剥奪されていない世界政府加盟国でした。
つまりカタギです。
なのにビッグマムと同格だと勘違いしていたジャッジは、土地・城・研究所・兵隊・国民など、国の全財産を持ってノコノコと大海賊のナワバリにやってきたワケです。
海賊は相手も海賊の場合にしか約束を守りません。
カタギが相手であれば略奪の限りを尽くすだけです。
という事で、悪人気取りのカタギの国王とビッグマムは同じ「悪の世界」の住人ではなく、海賊とカタギ、つまり略奪者と被害者の関係だったワケです。
当然そんな二人の間に”仁義”はありません。
ここでジャッジが言った”仁義”は、約束・ルール・掟という意味だと思います。
女の仁義
双子の妹・ローラの恩返しのために、ベッジの元を離れてケーキ作りに向かったシフォン。
その時のセリフが
「「ローラを助けてくれてありがとう」口で言うのは簡単さ‼︎
恩人の危機にこそ‼︎言葉の真偽が問われるってモンじゃろがい‼︎」
つまり、自分の身の危険をかえりみず、恩人の役に立つために行動する
これも「仁・義・礼・智・信」の義
「利欲にとらわれず、なすべきことをすること」が当てはまると思います。
おしるこの仁義
海賊じゃないジャッジ相手には仁義を通さなかったビッグマムも、海賊であるジンベエからの盃返上には仁義を通しました。
そんなビッグマムが仁義を叫びながら覇王色でページワンを殴ったシーン。
これがなかなかに理不尽です。
解説すると
- ワノ国に到着した直後に記憶喪失になったビッグマム
- 記憶喪失のビッグマムにおしるこをくれたおこぼれ町のお鶴
- 記憶を取り戻しカイドウの百獣海賊団と同盟を組んだビッグマム
- カイドウの部下(ホールデム)がおこぼれ町を焼き尽くしたと知る
- 近くに居たカイドウの部下に”仁義”を叫びながら攻撃
つまり、ビッグマムの言う”仁義”とは
「同盟を組む前のことだし、百獣海賊団は誰も知らないことかもしれないけど、困ってたおれに親切にしてくれた恩人を殺しやがってこの野郎が!」
です。
ページワンからしたら「いや、全然知らんし、おれじゃねぇ。どうしろって言うんだよ…」と言う内容でした。
これまでいい感じに分かりかけて来たのに、この場面のせいでまた”仁義”がわからなくなりました。
仁義を切る
仁義の後に「切る」が付くと、ヤクザ者同士の初対面での自己紹介の作法になります。
こんな感じ↓
「堅苦しい挨拶は抜きにして」とか
「人に名前を聞くときは自分から名乗るモンだ」
というのは、この作法の名残りでしょう。
尾田先生は儒教推し?
ということで、仁義とは元々が儒教の言葉でした。
でも尾田先生が”仁義”をよく使うのは、ヤクザ映画の影響であって、儒教の信者とは関係ないと思います。
先祖を神のように崇拝する儒教に対して否定的なセリフをルフィに言わせたりしてますし↓
じゃあ、聖書に登場する名前を多く使っているから、キリスト教やユダヤ教の信者かというとそれも違います↓
特に中世のキリスト教のやり方は嫌いなんじゃないかな。
主人公に敵対する組織の旗をキリスト教の十字架っぽくしてるし。
※中世の宗教 VS 天文学者を描いた超オススメマンガがこちら↓
地動説を認めてしまうと、それまで教えていた天動説が嘘になっちゃうから、天文学者を次々と処刑していたらしいです。
オハラの学者 VS 世界政府っぽいですね。
そもそも「神」ってなに?
「神」はとても便利な言い訳の言葉です。
理解できない現象は「神」のせいにしておけばいい。
宇宙の星々はいつ・どうやってできた?
→神が作った
地球はどうやってできた?
→神が作った
人間はどうやって生まれた?
→神が作った
今まではこれが本当かどうかは確かめようがありませんでした。
でも最近は科学技術の発展が凄まじく、もしかしたら「人類の起源」なら突き止められるかも!
という所まで来ています。
といったところで今回はお開き。
仁義なき戦い Amazon Prime Video